私は絵の描き方のようなものは一切分かりません。
また、絵の才能に関しても可もなく不可もなく、といったところでしょう。
そして現在の技量(絵の世界では画力と呼ばれるもの)は悲惨なレベルです。
そのため、絵の努力をすると言っても、正直、何をどうしてよいのかサッパリなのです。大人になってから絵画教室や画塾に短期間通ったこともありましたが、絵の描き方などというものは特に教えてもらえませんでした。
だから絵の訓練方法については、情報収集や試行錯誤をしていかなければなりません。
また、私には、絵を描くための「機材」や「道具」が不足しています。今の時代、商業的な絵はデジタル化が進んでおり、液晶タブレットと呼ばれる特殊なコンピュータ端末の画面上に電子ペンによって絵を描くということが主流となっています。
私にはこうした装置もなく、アナログで描こうにも、何が必要なのか?ハテナです。 鉛筆と紙、消しゴムと、インクの切れた赤ペンしか私にはありません。
イラスト、漫画といった商業アートの道で結果を出したいならば、やはり液晶タブレットは使いこなせなければなりません。だから、こうした必要な機材には投資をしていかなければなりません。
このように私には、方法論と、道具が不足しているのです。おまけに、私は引きこもりですから、やはり色々な問題を抱えております。たとえば抑鬱症状やフラッシュバックです。
絵とどうやって接していけばよいか分からない、また、心の面でも、ただ生活するだけで辛い。しかし、人生のタイムリミットはどんどん削れていく。そんな焦りがあります。扶養家族が死んだら私も生活保護。体力や健康も、永続的なものではありません。爆弾の導火線は既に点火されている。
こうした中で、私がしていくべきこととは何か?
いかにして、絵と向き合っていけばよいのか?
それは今後も絶えず自問していかなければなりませんが、今の段階で既に1つ明らかなことがあります。
そしてその方法を1つ実践するだけで、絵の問題も、精神的な辛さや悩みも、全部まとめて、良い方向へ向かっていくという確信があります。
それは、絵をゆっくり、丁寧に、拘って描くことです。
兎に角あらゆることを、ていねいにするのです。
勿論、コピー用紙と鉛筆だけでそれは実現できます。
それをするだけで絵は上達していくし、ただ生きることに伴う精神的苦痛も、楽になっていくように感じるのです。それは一体何故か?
先ず、ゆっくり丁寧に描くということ自体には、絵の技量を高める効果はあまり期待できないでしょう。小手先にすぎません。
しかし忍耐力は鍛えられます。集中力も鍛えられます。観察力も鍛えられます。粘り強さ、ひたむきさ、自制心も強化されます。これらすべてが、脳の基礎体力を向上させると私は予想しています。脳の基礎体力が向上することによって、次のフェイズではより本質的なアプローチを採用できるようになるはずと私は予想しています。
また何度も修正しながらゆっくり丁寧に描くという作業は、ある種の瞑想というか精神修養となって、日常の様々なことを多角的に見つめ直し、認知を修正することにもつながります。そうすると癒されることが時々ありますね。下手なりにも、ゆっくり丁寧に描いていると、自分や他者の人間心理であったり、悩みごとの解決策など、ふっと思いつくことがあるのです。
まあ、その瞬間は絵に集中していないということになるわけですが(苦笑)。
とにかく心が落ち着いていって、穏やかな気持ちになれる、ということがよくあります。この状態には直ぐに到達できるわけではありません。絵を描き始めて30分くらいは、雑念も多く、精神不安定で、絵もミミズのように下手で、人間の原形をとどめておりません。しかしそれでもゆっくり丁寧に、をモットーに進めていくと、だんだん精神が安定し、絵の形もよくなってきます。この時、一瞬、現実の悩みごとを忘れられる、あるいはこれまで気づかなかったことに気づき内省を深められる瞬間があるのです。
私は子供のころ、よく父に、字が汚いということで叱責を受けていました。しかしそんな父でも、私が下手なら下手なりに、ゆっくり丁寧に字を書くと、ちゃんと誉めてくれたことを覚えています。いくら丁寧に書いたとしても、その字は客観的に見て、下手であることに変わりないのに。今日も絵を描いていて、なぜかそのことを不意に思い出しましたね。
これは文字や絵に限らない。生活のあらゆることを、ゆっくり丁寧に、拘りをもって続けていくこと。これが重要ではないか?と考えます。不器用なら不器用なりに、鬱なら鬱なりに。道具が無いなら無いなりに。方法論が分からないなら分からないなりに。今自分ができる、1つ1つの小さなことを、焦らずゆっくり、確実に。そうすれば将来、もっと有用な大きなことができるようになるはず。こういう予感があります。
確かに人生は有限であり、タイムリミットがあります。だから急がなければならない。急がなければならないが、だからこそ敢えて、丁寧にゆっくり、今の自分にできる小さなことに拘りたいのです。
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