行き詰まりを乗り越える方法

仕事や人生の問題解決や成功のうえで、趣味の存在がいかに大切かということに気づくことがあります。

ただし、ここでいう趣味とは、快楽のことではなく、

何かに真剣に向き合うということを差します。

私の場合、絵が上達したいのですが、机に向かって絵ばかり描いていても、正直なところ、何をどうしていけばいいのか全く分からないんですよね。何しろ、素人で、門外漢ですので。

しかし、他の趣味、たとえばピアノとか、ボイストレーニングとか、そういった絵には全然関係のないものを通して、絵のことに関して多くを学ぶことができているように感じます。

例えば、ピアノ、大人になって始めたものであり、指がなかなか思うように動かないのですが…最近、奇妙な現象に出くわすことがあります。いくら練習しても、まったく進歩が無く、とにかく指の運動が上手くいかない。そんな成長曲線における平坦なプラトーが、ある時とつぜん、グンと、早く動かせるようになるんです。これが本当にもう、突然なんです。話はここで終わりません。問題なのはここからなんです。ある日、指が速く動かせるようになったので、これまでより速いペースで練習曲を弾く。それを続けていると、なんと驚くべきことに、「逆行現象」が起こる。すなわち、逆に、これまでよりも指が速く動かなくなる。どうも脳の神経だけがアンバランスに成長してしまい、それに体がついていけないようなのです。

つまり、こういうことです。

「何をどうしても、指が速く動かない」→「地道な基礎練習を続けるが、一向に成長がみられない」→「それでも真面目に、継続する」→「ある日突然、急に指が速く動き出す(ブレイクスルー)」→「基礎練習を続けるが、これまでよりも速く弾く」→「指の運動機能が、一段階退化する」→「練習前に逆戻り(ブレイクダウン)」

この現象はボイストレーニングでも感じております。

私は自分の声にコンプレックスがあり、ストレス解消もかねて、発声練習をすることがあります。しかし高い声が出せません。だから高音トレーニングをするのですが、ピアノと同じで、この逆行現象が起こります。

「何をどうしても、高い声が出せない」→「地道な基礎練習を続けるが、一向に成長がみられない」→「それでも、しっかり、真面目に、頑張って継続する」→「ある日突然、急に高い声が出せるようになる」→「基礎練習を続けるが、これまでよりも高音を丁寧にしっかり練習する」→「とつぜん、高音が出せなくなる。」→「練習前に逆戻り」この繰り返し。

ピアノもボイストレーニングも、結局、練習によって脳内で新生されたニューロンからの指令に体が思うようについていけないことが原因なのでしょう。

脳が高速に指令を出すのですが、身体の方はまだ発達しきれていない。体のどの部分なのか?ボイトレであれば声帯の筋肉、もしくはその周辺の神経か。ピアノであれば、手の筋肉、指の筋肉、いや筋肉ではなく手のあたりの神経の問題なのか。少なくとも脳(中枢神経)の問題ではない。どうやら身体は脳とは違って、突然成長できないようだ。

脳の発達の速度の方が速い。その脳の速さに体を合わせてしまう。そうすると体に負担がかかり、身体がダメージを受ける。

これは、似た現象が、マラソンでも起こる。

マラソンをしていると、心肺機能が筋肉よりも先に強化されます。そうすると、より速く、より長距離を、より楽に走れるようになる。しかし、その後に訪れるのは、全身筋肉痛。重大な筋疲労。

そこで当然、次のような疑問が湧いてきます

「だったら、練習や訓練というものは、なるべく一定の強度、一定の負荷を保てばよいのではないか?なぜ、体が慣れるうちから、どんどん負荷を上げていくのか?学習能力はないのか?」

これは当然の疑問ですが、これは仕方ない。私だって馬鹿じゃない。頭では分かっております。頭では。でも、無意識に起こる現象なのです。

いつ、脳の神経回路が新生され、いつ、脳の指揮系統にブレイクスルーが起こったのか、自分ではそのタイミングが分からない。ある時気づいたら突然そうなってる。そのため、自分では普段通りに訓練しているつもりであっても、実は、以前よりも、負荷の高い訓練をしてしまっている。その結果、気づかぬうちに体に無理な負担をかけてしまっている。だから余程、意識しない限りはこの現象を防ぐことができません。

これは何も、ピアノ、ボイストレーニング、マラソンに限った話ではない、と私は感じる。ある部分だけが突如として発達した結果、訓練の負荷が上がり、別の部分がダメージを受ける。

絵でも、同じではないか?同じ現象が起こってはいないだろうか?

絵でいえば、練習を続ければより細部の違いが認識できるようになる。しかし、その認識だけがアンバランスに発達してしまった結果、逆に全体が見えなくなるとか、逆にどこかがおろそかになってしまう、といったことは考えられないだろうか?細部への認識に目覚める→これまで以上に、細部を見つめる→全体が見えなくなる→全体が見えなくなることで、細部も見えなくなる→練習前に逆戻り。

この解決策として、とにかく「意識」すること。逆行現象の存在を。脳はどんどん発達していくが、身体は、それに追いついていかない。身体の成長曲線にはブレイクスルーは起こらない。また、同じ脳でも、脳の中のある部分は突然発達するが、別の部分は緩慢にしか成長できない。

ゆえに、これまでの訓練が簡単に出来るようになった後でも、すぐに負荷を上げないようにすること。

余裕を持たせる。簡単なくらいでちょうどいい。練習が難しく感じたら、それは脳の神経回路が増えた証であり、つまり気づかぬうちに体(や脳の他の部分)の負荷が上がり過ぎている証拠だ。

太極拳のように、とにかく一定の速度を保つ。

太極拳は亀のように緩慢な動作ですが、実戦では空手の達人でも脅威を感じることがあるのだとか…空手から太極拳に切り替える人もいるらしいです。ゆっくりした動作でも、それを(脳の一部分だけでなく)身体全体に染みつくまで繰り返し修練すると、その動作は、速くしようと思えば幾らでも速くすることができる、ということなのでしょうか。身に染みつくまではムリない範囲で反復練習する、というところが達人に至るまでのカギなのでしょうね。

絵でも何でも、あんまり真面目に頑張り過ぎても、逆効果になることがあるということでしょう。負荷は軽く、しかし、ていねいに。

※ただしクロッキーの場合はいらずらにゆっくり時間をかけて描くのではなく、細部を適度に手を抜く、という形で負荷を下げたほうがよいと感じます。

正直言いますとピアノのハノンだと20番台までで私の速度はメトロノームで72くらいが丁度よいです。90~100くらいまでは速度を上げれますが、そうすると後日、逆行現象が起こり、72の速度さえ辛くなる。でも68でも続けていけばまた、ある日突然90の速度が出せるようになる。68から徐々に速度を上げるのではなく、ずっと68で練習して、とつぜん90、100が出せるようになるのが不思議。階段状ではなく等比級数的。でもだからといって90で練習したらアウト。ボイストレーニングも、教本の指示通りに1から10まで全部を指示されたとおりに真面目に漏れなく練習すると、逆行現象が起こる。それぞれ全部を完璧に生真面目に練習して、翌日に練習を休むよりも、ところどころ飛ばして、色々省略して、その代わり「毎日」、無理なく・楽な形で続ける、ということを繰り返した方が、断然、声質が良くなる気がしています。

今日は他にもまだ大切な気づきがあったのですが、些か助長になり過ぎましたね。詳細はまたの機会にするとして、ここでは概要だけを短くまとめます。

それは、知人や友人の大切さ、ただし、ここでいうところの「知人」の定義とは、「敵ではない」という意味です。

必ずしも味方、と呼べるほど親しくは無く、あまり接点もないが、とくに対立はしておらず、基本的に友好関係にある、という間柄。その定義のもとでここでは話を進める。

長く孤独でいると人は、恐らく遺伝的に、精神衛生が保てなくなるようプログラムされている。社会や人間というものに対する、不信感や、嫌悪感といった認知の歪みがでてきます。

認知の歪みというものは、すべて正すべきではないと考える。ある程度はその人の個性であったり強みであったりする。しかし、悪い意味での認知の歪み、というものが生じることがある。そういうとき、知人の存在は、精神衛生を改善してくれる。何気ない一言、ちょっとした世間話が、視野を修正し、苦しみを取り去ってくれることがある。

ある意味で、ツイッターなどSNSにはプラスの側面がある。SNSという形であっても、あまり会話をしたことがない・多少すれ違いのあった知人であっても、会話をするということは大事と思います。

今では疎遠となった友人とのかつての日常会話の内容をおぼろげに思い出すだけでも価値があります。

記憶をたどって何気ない会話を思い出してみる。

それだけでも、その瞬間、自分を客観視できたり、別の見方・考え方を持つことによって自己肯定感を高めることができたり、怒りが静まったり、肉親への感謝の気持ちが湧き上がったりします。※ただしその会話のなかで相手と一瞬でも心が通じ合っていたことが条件ですが。

いかに、孤独というのがリスキーか。破滅は、認知の外側からやってくる。自分の認知の外側から、不可避的に訪れる。それを防ぐためには、自分一人だけで緻密に哲学的思索を練るだけではだめで、たとえネットであってもよいから、ときどき他者とのかかわりを持たなければならない。ときどき、一言でも世間話を交わさなければならないと感じます。

コロナ下で孤独を感じる機会も増えました。その状況を直ちに変えることはできない。しかし孤独との上手な付き合い方とは、むしろ適度にガス抜きをすることではないでしょうか。つまり時にはまた少しだけ人と関わってみること、自己表現してみることも必要なのだと感じます。私にとっては、このホームページもそのための大切な居場所です。

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