白黒思考をやめ視線を移す

白黒思考をやめてみないか?

何か辛い事実や出来事があったときに、それをわざわざ自分の前まで持ってきて、「さあ、これを乗り越えられるか、乗り越えられないか?」と自分に問いかけるのを止めてみないか?

別に、いまそれを乗り越える必要なんて必ずしもない。
「気にしない」ではなくて「考えない」。「考えない」というより、もっと言うと、「見ない」。

たとえば、じゃあ、

「寂しい」という感情があったとして、

その「寂しい」という状況や感情を、目の前にわざわざ持ってきて、凝視する必要はないんだ。それにじーっと向き合ったからといって、何かが良い方向に変わるわけではない。

それは「過去の出来事」や、自分以外の何かや誰かに結果が依存するものであったり、「未来」もそうであるし、それらの不確定な要素や変えられない要素を、わざわざ、目の前に持ってきて、味がなくなるまで舌で味わい続ける必要なんてない。それを乗り越える必要も、我慢する必要も、大抵はない。

その代わりに、いま目の前に与えられている、チャンスであったり、興味関心であったり、希望のようなもの、それを、自分の目の前によいしょっと持ってきて、それを凝視したほうがいい。それを凝視してる間それ以外のことをなるべく考えなくて済むだろう?真後ろには「淋しさ」や「不安」「苦しみ」が横たわっているかもしれないが、自分の正面が別の方向を向いていたら、同時に真後ろまでは見ることはできない。休んでも休んでも、いつまで経っても、真後ろにあるそれらの苦しみを見てしまうだけだ。だから、休んでも休んでも、苦しいままである。 辛くとも、自分に残されたものやチャンスや関心や希望に手を伸ばして、多少苦しくともそれに向かって体当たりしていくことによってこそ、自信は得られていくし、心身の調子も結果として良くなっていく。
そうしたある種の「良い汗」というか、「良い精神的負荷」が必要だ。

Weak people run out, strong people overwelm, intelligent people ignore. だけど、overwelmとは? 孤立や疎外や不平等や不運など生きることの根源にあるような苦しみをoverwelmするのは、置かれた状況によっては直ちには無理であるものばかりだ。

それよりも、それをいったん考えず、「overwelmできるか否か、我慢できるか否か、状況を変えられるか否か」の白黒をつけず、いったん保留し、目の前のチャンスや関心や希望に手を伸ばしてみよう。そしてそれに対して実直に地道に努力をコツコツ続けてみよう。奇をてらった努力ばかりではなく、当たり前のことを地道に継続することが根幹である。その「当たり前の継続」をできる者が本当に一握りだからこそ、多くの夢が潰えているのであって、それは「当たり前のことの継続」に効果がないということを意味しない。

例えば、ボイストレーニングなんかがまさにそれだ。すでにすべてを叶える方程式は手元にあって、いま俺が行っているようなことの基本的なトレーニングの積み重ねだけで応用的なものを含む表現力の大抵をカバーできる。 体調不良も、食事や運動にくわえ、じつはもっと早く寝るだけ・掃除するだけで解決するものばかりであったりする。

たしかに、苦しいことや辛いこと、理不尽や不運、変えられないものばかりかもしれない。でもそれら1つ1つから、いったん視線を反らし、何か1つのことを実直かつ誠実に、腰を据えて取り組んでみることだ。そうすれば、人生の他の何がどうであれ、その取り組んだ対象に対しては、努力はそれなりに報われる。物理法則上、正しく行った行為に対して正当な結果は出る。その結果が、道を照らしていく。そのときになってから、これまで保留していたようなものを、もう一度そのタイミングで目の前に持って来てみると、すんなりと解決できることが人生には多いのだ。

いま、残されているチャンスや希望。いま、手元にあって、未来に花開くようなもの。それに対して、いまの時点の自分の全生命力をベットしてみよう?死に生をぶつけてみよう。

そこにしか己の尊厳はない。

なんだろうなぁ、 
「みんなは生の喜びを享受できるのに、どうして俺だけが、それらの楽しみを得られず、生の苦しみばかり与えられているのだろう」
って考えてしまう。

それに対する、回答は、無くていい。
それは考えなくていい。

俺には唯一与えられてる「勝ち筋」のようなものがある。
それは、「独りだからこそ、できること」を、捨て身で「すること」だ。
11時間デッサンしてた時のような感じがそれだ。
それが俺の「尊厳」だ。
まだ残されている「チャンス」だ。

つまり何か目標を立てて自分を追い込みながら完全燃焼してそれに打ち込むこと。その目標が、いまのお前にあるか。明確なビジョンがこころのなかにかたち作られているか。

「配信をする」んじゃなかったのか。 「アンチがいる?」それがどうした?
そんなもの、覚悟1つで、視界に映らなくなる。
「絵を描く」んじゃなかったのか。「ほかにやることがある」しるか?
まず絵を描いて、余った時間で余力で他のことをすればいいだけだ。
「元気がでない」なるほど?じゃあ元気がでないまま歯を食いしばって絵を描こう。
「ゲームがうまくなりたい」んじゃなかったのか。「虚しさを感じることがある」? じゃあやめれば?興味がないってことだから。それは本当に止めた方がいい。ただ、恐らく、それ自体が虚しいというより、他のことが気になって、その他のことに対して虚しさを感じているだけのことが実は多い。地道に継続しないと何事も実らない。他のことを気にしないようになるためには、単に「ゲームが上手くなりたい」という漠然とした目標ではなくて、自分で何かこう、メニューを組んで、それを達成していくことに喜びを見出すとか、それか、いちばんよいのは配信をすることだが、配信は今はできないから、それなら、俺のサーバーで、大会を開いてみよう。そうだ、あの二人を呼ぼう。あのプロ二人を。サーバーに招待しよう。お金もほぼかからないし。そうか、サーバーという便利なものがあった。俺はサーバーの管理者だった。あと、資本主義社会&超不景気な日本経済という便利な構造があった。追い風、追い風。60分で1000円-1500円程度だったらそれ払うわ。あと二人は俺のサーバーのメンバーで。4人チームができる。その4人と対戦するという目標ならワクワクする。そうか…なるほど。
燃えてきた そういうワクワクする企画で自分の中を満たそう
命のコロッセオだ

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