受験勉強的に生きるか変人的に生きるか

ポケモンのゲームで世界大会(笑)があり、そこで負けて悔しがって号泣する小学生がいた。

その光景を見ていて、純粋に、気味が悪いな、と感じた。負けて悔しいのは分かるけど、泣くほどのことか?もしそこで涙を流してしまうのだとすれば、それは深層心理で「自分が一番。自分が勝つはずだ。なぜなら自分は特別だから。」と思ってるからに他ならない。その深層心理の信仰が崩壊したせいで敗北が自我崩壊につながり、号泣するほどの事態になる。

それなら、そんな傲慢な自我は壊れたほうがよい。もっと負けるべきだ、そんな子供は。謙虚さを知らなさすぎ、負けて泣くとか幼稚すぎ。おそらく、周りの大人が手加減してわざと負けてあげたりして、「自分がいちばん」と思い込んだんじゃないのか?

女子高生の全国将棋大会、通称、将棋甲子園があり、そこで負けて号泣しだす女子高生。その光景を見ていて、生理的な嫌悪感を覚えた。このケースも、先述の小学生と同レベルの認知の歪みだ。どんどん敗北して自分が一番でないことを悟った方がいいよ?それにしても、高校生にもなって、そこまで認知が歪んでるのも変な話だ。親に甘やかされたのかな?難しいな、人間って。厳しく育てても甘やかしすぎても正しく育てない。

何かで負けたことで自信を失うやつって自分がないってことだろ。ポケモンが好きなら負けてもいいじゃないか。将棋が好きなら負けてもいいじゃないか。またやり直せばいいじゃないか。対戦相手や評価してくる周りの大人たちと向き合ってばかりで、将棋そのものと向き合っていないんだよ、そういうの。本当のプロで泣く人がいるか?

貴方はもしかして女流プロ棋士を目指していたのか?プロになれなかったから泣いてるの?ばかみたいだ…勝手に諦めたのはそっちだろ、それから、プロになれなかったら将棋が嫌になるのか?これまでの努力は苦しいだけのものだったのか?じゃあ初めからそれ趣味じゃないよ。初めから、それちゃんと向き合えてないよ。

俺が君たちと同じ思考回路であったなら、俺は号泣どころか、うつ病で自殺しないといけなくなる。人生、負け続けだったからね。だけど死ななーい。涙も流さなーい。俺は自分や自分の人生を好きだし信じているので、この人生を探求するだけ。自分を一番とは思ってないので、誰かに何かの物事で負けても「だから?それで?こっちは今それどころじゃない」としか思わない。他人なんて初めから空気だよ、目の前の物事へ感動し、その物事そして自分自身の深奥を探求することにこそ本当の意味での人生の幸福、勝ち負けがあるんじゃないのか。勝てないとつまらないポケモンなら、止めちまえ。勝てないとつらい将棋なんて、向いてないよ。

受験で失敗して大泣きする受験生なんか大学行くな、そこで泣くほどショックなようなら、その人がしていたのは受験勉強であって学問の探求じゃないってことだろ え、大学って学問を探求する人が行く場所ではないの…?(笑) あ、違ったんだ、へ~そうなんだ~  なんか人生を受験勉強的に生きている人が多い気がする。 だが私自身も気を付けないといけない。受験勉強的に生きていないかどうかを、日々、自問自答していくつもりだ。

本当にポケモンが好きなら、勝ち負け以前に、客観的には電子データでしかない自分が育てたポケモンたちを愛しているはずだ。こころからそのゲームに感情移入しているのなら、勝ち負けを越えたゲームへの愛があるはずだ。本当に将棋が好きなら試合に負けた次の日には丁寧に将棋盤や将棋の駒を磨きなおして心機一転することだろう。まあそれが行き過ぎると変人になるんだけど(笑) 私の知っている、とある麻雀のプロなんかは、麻雀を愛し過ぎて、麻雀に信仰心まで持ち始める始末‥‥麻雀牌1つ1つに話しかけたりとか…(笑)だけど、そういう人に限って、実際に麻雀がめちゃくちゃ強かったりする。そういう人を本当のプロというんだ。変人には違いないけど(笑) 俺は、そういう変人が好きだ。そういう人なら、信頼に値する。 将棋大会で負けて大泣きした女子高生、貴方はまず、将棋の駒1つ1つに名前を付けて毎日話しかけてみてよ。話はそこからだよ。

とある数学の大学教授なんか、ファミレスで食事中、トイレに用を足しに行く際に、財布など貴重品を座席に置いたまま、数学書を持って大便に行くんだ。
それっておかしくないか(笑) 普通、逆じゃないか?本は席に置いて、財布とスマホ持ってトイレいくよね?!面白い人だよね、変人奇人には違いないよ、彼が言うには「これを手元に持っていないと落ち着かない、安心できない」さて、この大学教授は別に何か世紀の大発見をしたわけでもない普通の研究者だ。だけどこの人は数学という学問を愛していて、信仰心すら持っていて、その探求に情熱を持ってることが明らかだ。こういう人こそが、本当のプロなんだよ。将棋の世界だってそうだよ?羽生名人なんか、若いころは連勝していたとしても、今は負けることも多い。将棋の世界では年齢とともに計算力が弱くなる以上、負けも増える。加藤ひふみ名人とかね。だけど、じゃあその人たちはもうプロではなくなるのか?違うだろ。将棋を愛して探求していることが本当のプロだよ。社会もそれを分かってるから評価してるわけでしょ。

もう一つ、例を挙げよう。ユダヤ人だ。IQテストだとユダヤ人よりも、アジア人の方が純粋なIQは高い数値を出すとされている。だけど実際に人類の文明へ貢献しているのはユダヤ人の割合が圧倒的に多い。ユダヤは知恵に対する「信仰心」を備えている。知性を、頭を使うことを、愛している。信仰心を抱いて喜んで頭を使う人と、嫌々我慢しながら頭を使ってるアジア人、どっちが「脳のプロ」なのかは明白だ。「どっちが頭がいいか?」という問いには意味がない。「どっちが、頭を使うことを愛しているか?」。「どっちが、頭を使うことへの愛を表現したか」だ。

私の知ってる、ある変人は、あ、いや、もう変人の話はやめておくか…
だけど私は変人になりたい。もっと変人奇人として生きたい。
ポケモンのゲームで負けて大泣きした小学生や、将棋の大会で負けて大泣きした女子高生みたいな人生になっていないか、自己監視していかねば。
むかし、私も同じ失敗をしていて、間違った態度で物事に向き合っていたことがある。その前科がある以上、私自身、受験勉強的でないかどうか、怪しいものではある。

だけど俺は普通の人間じゃない。異常性。異常な感受性。
だから、素養はある。変人になれる資質はある。
あ~、「普通の人」でなくて、よかったぁ~。
こればかりは、特性というか、才能というか。半ば呪いでもあるけど。
他の人が真似できない俺の強みになる。呪(のろ)い転じて呪(まじな)いと成す。

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