教養とは孤独を耐える技術

何かで結果を出さないと、ある集団から存在を認めてもらえず、自分というものを受け入れてもらえないのならば、そのような集団は最初から、自分とは属性を異(こと)にしていると考えられる。ならば、その集団から距離を置くのが合理的な最適解というものだろう。

したがって、そのような選択の結果として自分がいま現在、孤立しているのならば、その孤立はすなわち合理的な最適解ということになる。

だからその孤独を受け入れるべきである。

ただし、決して永遠の孤独ではなく、人生のなかの一局面、暫定的な状態に過ぎない。自分と属性が合う人や集団と出逢えるまで、もしくは自分がそのような集団コミュニティを形成するまでの。そのときまで孤独を愛して、自分の価値を高め、力を蓄えていればいい。

それなのに、得てして人は、自分が受け入れられていないと感じる集団にしがみ付き、そこで結果を出して周囲に認められようと努力する。

その努力は寂しさから動機づけられている。

そして、そのような頑張りは報われないものだ。

まず、人にその寂しさや依存心を見抜かれ、搾取・コントロールされてしまう。

それに、属性の違う集団から認められるには、普通の成功ではダメで、それこそ「大成功」でなければならない。それに、大成功を収めることができたとしても、本当の意味で集団に受け入れられているとは言えず、その「受け入れ」は、それこそ暫定的なものでしかない。毎日のように大成功を更新しないと、いずれは人が離れていくのであり、大成功を維持することにやがて疲れ果てるだろう。そのときに今自分が本当に生きていると実感できるのだろうか?そこにあるのは相も変わらず疎外感と孤独感と抑鬱感ではないのか?大成功を他人に認めてもらうより、小さな小さな成功を認められることこそが、人間の成長には必要なことであるにも関わらずだ。他人がその小さな成功を認めてくれないのならば、その他人からは距離を置いて、自分で自分自身を認めていくこと=自分との語らいこそが生きる力となる。

身近な例で例えば学校だ。学校の虐めだ。

周りに拒絶されているなら、転校すればいいんだ。それをしないのは心の中に寂しさ、弱さがあるから。自我確立していないから。だから、そこに付け込まれて虐めが発生するのだ。

自我が確率していない、とは、別の言葉で言い換えれば、教養が足りない、ということだ。

教養とは、孤独のなかで平静を保つ技術のことだ。もっと具体的に言うと、たとえば楽器の演奏だ。楽器の演奏は、教養の1つだ。喩え集団から孤立していて、強い孤独感があったとしても、ピアノを演奏できれば、ピアノに打ち込めれば、自分自身と語らい、自分自身に立ち返ることができる。読書や、学問や、絵画や、或いはほかの何でもいい、自分自身と向き合える活動を通して、孤独のなかでも自分を見失わずに生きていける。そうやって自己を探求していくならば、今ではないにせよ、いつか必ず、自分を受け入れてくれる個人ないしは集団と出逢うことができる。

そのためには教養が必要だ。教養というのは勉強だけじゃない。ゲームだって、付き合い方や内容次第では教養になる。運動だって教養の1つだ。どんな物事も(と言うのは言い過ぎだが、大抵のことは)、付き合い方や工夫次第では教養になる。

教養には共通点がある。それは、孤独の中でも生きる力になるものだ。それこそが教養というものの唯一の定義だ。逆に、生きる力を削ぐようなものは、教養ではないので、それは対象を間違えているか、或いは付き合い方・内容を間違えているかのいずれかだ。一時的に、生きる実感を与えるものであっても、長期的には生きる実感を削ぐように働くものもあるので、注意が必要だ(例、ギャンブル、SNSなどで不特定多数とつるむ、等)。もし、いま、生きる力を実感できていないのならば、その生活には教養が足りていないということに他ならない。

ジムに通ったり、ピアノをもっと練習したりすることは、教養になる。
FPSゲームでエイムトレーニングをすることは、教養になる。自炊も教養になる。
このように、対象は問題ではない。どんな物事も、何かを探求しようという気持ちで接すれば、教養になりうる。

突然なぜ私はこのような内容の記事を投稿したか?というと、フラッシュバックしたから。人生の中で様々な場面で幾度となく排斥されてきた。その大半は自分の意志ではどうにもならない、何ら落ち度のない理不尽な巡りあわせであった。ゆえにこの記事は、他者に説き伏せるものではなく、自分に向けたものである。この記事を投稿することで私はこのフラッシュバックを鎮めることができた。この記事そのものも、「教養」なのである。

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